もみちゃ☆画像掲示板


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返信 2024-05-06 Mon 11:40:13 No.10471362
【山梨女性死体遺棄事件】「殴り続けていると動かなくなった」 逮捕のストーカー男(35)「恋心を抱いていたが実らなかった」
2024-05-06 Mon 11:41:33 No.10471375
ベトナム系?


返信 2024-05-06 Mon 11:41:31 No.10471374
ラーメンきたぞ


返信 2024-05-06 Mon 11:30:49 No.10471269
今年の夏は暑くなりそうだね
2024-05-06 Mon 11:31:24 No.10471272
うn
2024-05-06 Mon 11:31:25 No.10471273
あ゛~~
2024-05-06 Mon 11:32:32 No.10471285
エヤコン予約したけど
明日ベスト検査が混んでる
2024-05-06 Mon 11:40:47 No.10471367
またバタバタ死にそうだね
2024-05-06 Mon 11:41:28 No.10471373
きっとね40度オーバー続出


返信 2024-05-06 Mon 11:29:15 No.10471258

2024-05-06 Mon 11:41:20 No.10471372
大井川は駿河と遠江の国境であったため、幕府の防衛政策などにより架橋・通船が禁じられました。そのため、旅人は川越人足(かわごしにんそく)と呼ばれる専門集団を雇い、大井川を越えなければなりませんでした。このように人力のみで川を越えることを「川越し」と呼んだのです。
江戸時代初期、川越しの管理・統制は、江戸幕府直轄の島田代官や宿場の役人の仕事でした。しかし、元禄9(1696)年に新たに川庄屋(かわしょうや)と年行事(ねんぎょうじ)が任命され、大井川を渡る料金の統制が行われるようになると、島田宿の支配から独立した川越制度が確立され、以後約200年間にわたり、大井川では川越しが続けられました。
 川庄屋は、大井川の深さを毎日測り、その日の川越料金を決定するのが主な仕事でした。年行事は、川越人足を勤めた者の中から高齢者があてられ、川越料金の徴収、帳簿の記載、川越人足の配置などを行いました。


返信 2024-05-06 Mon 11:41:15 No.10471371



返信 2024-05-06 Mon 11:41:06 No.10471370



返信 2024-05-06 Mon 11:40:55 No.10471369



返信 2024-05-06 Mon 11:39:46 No.10471354
綺麗な嫁が欲しいなぁ
2024-05-06 Mon 11:40:28 No.10471363
夢を見るな
2024-05-06 Mon 11:40:53 No.10471368
嫁もらえばめんどいで


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